最高の人生の見つけ方
私がボランティアでももクロちゃんのライブシーンに観客として出演している映画を観てきました。
(姿の確認はできていません。米粒にも満たない感じでしょう)
映画の感想
ハリウッド版と日本版とでは主軸が違った様な気がする。
ハリウッド版は原題が
「The Bucket L ist」なので棺桶リストが主軸で人生の最期をどう迎えるかがテーマで日本のは最高の人生の見つけ方が主軸と感じた。
人生の最期を最高に迎えるにはどう、人と向きあいどう家族と向きあうのか
とても愛に満ち溢れている作品だと感じた。
序盤で気になる点があったのは、なかなか小さなお友達と出会わない、出会ったと思ったら少女が死んでしまう。
少女がガチノフでは無い感じ。
最初に浮かんだ疑問はこの2つだった。
先に少女がガチノフじゃ無いのに何故?死ぬまでにやりたい事がももクロのライブに行きたい事を考えてみた、何故ガチノフじゃ無いのかと感じたのは、一切のグッズを身につけていない、ノフの特徴とも言える色味が無い、病院だからって事や子供って事を踏まえればおかしな事では無いのかもしれないが、中に着ている寝間着を数年前の大阪女祭のトレーナーを着させてノフ感出してもいいんじゃないかと思ったが、これは逆にももクロちゃんが一般人の子でも死ぬまでにはライブに行ってみたいと思える程の国民的なアイコンになったとの意味合いがあったのかなと後々感じた。
そして、少女が出会って直ぐに殆どの交流も無く死んでしまったのに、バケツリスト(棺桶って言葉がなんか嫌なので)を代わりに遂行するのか?
これに関しては、平凡な主婦には死ぬまでにやりたい事が見つからなかったからと理由が添えられていてる、この時の吉永小百合さんの演技がそう言った感情の全てを言葉では無く表情と間で表していて、確かにある程色々な経験をしてきた上で死ぬまでにやりたい事って何だろうと、確かに思いつかなかった。
多分、それは大人になってあそこに行きたい、あれをしてみたいと頭に浮かぶが本当にそれがしたいのか?などと考えたら、何が本当に死ぬまでにしたい事なのかわからなくなってしまうのかもしれない。
そして、個人的には一番の注目ポイントだった、ももクロちゃんのライブのシーン、意外と早い段階で出てきて少し残念な気持ちになった(クライマックスの所で使われるのかと思っていた)が会場に入った瞬間の映像と歓声を観た時に凄いエネルギーを感じた。
その会場に居るオタク一人一人がとても生き生きしていて、生に満ち満ちていた。
ライブが終わりホテルに戻った幸枝とマコの表情からとても楽しかった事が伝わってきてそれまでの死と言う物と向き合うのでは無く、生きる喜びに満ちていた。
あのライブのシーンは死に行く者でも生き生きとする生の象徴として扱われていたのではないだろうか
そして幸枝が黙って生き別れになったマコの父親と対面させるシーンで心底憎んでいた父親に逆上がりを褒められて頭を撫でやれるシーンではどんなに憎んでいても心の奥底では父に優しくされたいと言う気持ちがあったんだとその葛藤とかを思ったら涙が溢れた。
ウエディングドレスを着るシーンでは、息を呑むほどに吉永小百合さんが美しかった。
でも、よく考えると冒頭などでのシーンでは70歳と言う年齢(それでも全然若々しくみえるが)に感じるのにウエディングドレスを着た吉永小百合さんは70歳にはどうやっても見えない美しさだった。
ウエディングドレスを着て結婚式をする場面ではこれから死にゆく妻にプロポーズをするその旦那さんの妻への愛の深さに涙が止まらなかった。
そして、この映画一番の問題シーンであろう、少女が実は生きていたシーン。
マジかよ!台無しかよ!
って思ったのだけど、
最初のシーンで死んだと告げられたのは弟がおねぇちゃんは死んだと言った事だった。
その時にこうも続けていた、「お姉ちゃんばっかりお母さんを独り占めして」と。
弟は嫉妬のあまりお姉ちゃんが死ねばお母さんは自分一人のものになると思って付いた嘘だったんだろうと思ったら涙が止まらなかった。